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お別れの会

「鉄人」衣笠祥雄さん、お別れの会 広島の選手ら献花 朝日新聞デジタル引用

広島の野球少年だった私にとって、衣笠さんは特別な人です。2215試合連続試合出場を打ち立てるということは
常に試合に出ているということです。つまり存在して当たり前の選手、人なのです。その衣笠さんが4月お亡くなりになったことが
いまだに信じられません。

カープ黄金時代に衣笠さん、江夏さん、高橋慶彦さんは、いつも一緒にいたそうです。ピンチになれば、「江夏の21球」の時と同様に
衣笠さんはマウンド上の江夏さんのもとに行き、江夏さんを落ち着かせていました。江夏さんが登板する際のマウンドならしは
当時若手だった高橋慶彦さんが、江夏さんがマウンドに登る前に入念に行っていました。この三人の強烈な個性がまとまったのも
衣笠さんの吸引力があったからでしょう。

衣笠さんの野球に対する強い情熱、知識は引退後、監督、コーチとして活かされませんでした。
それはカープ球団の松田オーナーとの関係が原因だと言えるでしょう。多くの野球ファンが誤解していることがあります。
カープ球団は、市民球団と言われていますが、それは間違いです。松田家の家業として現在三代目が牛耳っており
近々四代目に引き継がれます。球団は田舎の中小企業レベルの「松田商店」と表現することが適切でしょう。

マツダ(前身は東洋工業)の実質的創業者の松田恒次氏は、カープ球団の経営効率化のために株を恒次氏に集約した際
「しばらく面倒を見るが、決して私しない」、「いずれは東洋の二文字は削って、真の野球会社として成功させる」と述べています。
しかし、松田オーナーが三代目の現実があり、恒次氏の意志は全く引き継がれていません。

お別れの会での松田オーナーの「若い頃から年をとるまでの野球人生を見てもらおうと。力をつけていくにつれて、
いい顔になるのがよく分かる。(選手も)そういうものを見てくれたらいい。感じてくれたらいい」と言う言葉が
白々しく感じます。

何はともあれ、ご冥福をお祈りします。天国でも大好きな野球を好きなだけやってください。 合掌